山遊録6 芳山(518m) 8/12晴れ  9:27->13:20 12.6Km 奈良県22山目

  6ヶ月ぶりのの山遊。
今回は奈良破石町->首切地蔵->地獄谷石窟仏->石切茶屋->芳山
->誓多林峠->忍辱山円成寺のコース
を歩く。このコースいわゆる柳生街道である。

地名読めるだろうか?破石(わりいし)、芳山(ほやま)、誓多林(せたりん)、
忍辱山円成寺(にんにんくせんえんじょうじ)と読む。

閑静な高畑の住宅地を横目に見ながら、破石町バス停よりスタート。同じスタート地点に
ご婦人のハイカー連れをみる。やがて滝坂の道を通過し、柳生街道入り口の道標のある
地点に来る。ここまでくれば、あたりはうっすらとしてここちよい森の香りが全身をつつみ
こみはじめる。やがて石畳(江戸時代につくられたそうだ)のつづく道に出る。登山靴は
非常に歩きつらい。ここからいろんな地蔵さんが現れる。まず、寝仏、そして夕日観音
、朝日観音とつづく。

柳生街道入り口の道標 寝仏:見えますか? うっそうとした森 朝日観音(1265年)

石畳の道が終った頃、目の前に杉の大木が飛びこんできた。木からはみ出ている折れた枝は、人が
木の中に生めこまれているような、奇怪な形を連想させられる。ここが、休憩ポイントで休憩処も建っている。
ここに荒木又衛門が試し切りをしたという有名な
首切地蔵がある。まさに、横一文字に首が斬られている。

10:30首切地蔵到着。しばらく休憩。道を地獄谷公園にとり出発。円山ドライブウェイを
横切り、地獄谷麿崖仏の案内板にでる。この間がちょっときついか?
案内板から左へ200mほど進むと、地獄谷石窟仏にでる(10:50)。
洞穴に彫られた仏さんで作成は奈良、藤原、鎌倉の諸説あり。石窟を後にし、
石切峠を目指す。この間、非常につらい高低差がある。なんどとなく休憩しやっとのことで
石切峠にでた。茶店が1軒ある。そのまま休憩することもなく、前進。今日の目的芳山
を目指す。5分ほど歩いて、道を左手に取る。竹林を抜け、茶畑を右に見て、200m
ほど下る。そして分岐点を左に折れ、芳山の尾根を目指す。赤いテープの目印が案内
してくれるので迷うことはないと思うが、それほど整備されているわけでもないので、良く
道を覚えておくことである。11:51登頂。狭い山頂で視界が開けてるわけでもない。

『まあ、これでまた一つ登ったな』という至福の一時を過す。下山途中、三面石仏に立寄る。
こんな山のこんなところに何故?と言う感じである。お花を供えてあることを思えば誰かが
お祭りにこられてるのであろうが、ここまで登ってくるのかと思えば、つかれることである。
人生40数年生きてきて、いままで出会わなかった石仏に、この山中で出会うのは、ある
意味、神秘さを感じる。
首切地蔵  

もと来た石切峠の道にとって返す。そのまま直進し、誓多林峠を歩く。円成寺方面の道標とおりに歩き、
東海自然歩道の道標を目当てに歩けば、やがて
忍辱山円成寺に着く。途中スイカ畑があったが採っては
いけませんよ!(笑)。円成寺バス停からJR奈良駅行きバスに乗り帰る。(1Hに1本)奈良駅まで650円、意外と
高い。次のバス停で、朝見かけたご婦人の2人連れが乗ってきた。私と1Hぐらいの誤差があった。どこを歩いて
来たんだろうかね。

地獄麿崖仏 三面石仏 円成寺の蓮

柳生までこの道を、柳生一族が、宮本武蔵が歩いたかと思うと、『同じ思いに浸った景観があったのか』と
感慨深い。

<こぼれ話し>写真にある”うっそうとした森”辺りを歩いていた時、前方50mほどのところを、黄色の
        短パンと半そでTシャツの人が走って横切った。すごいな、こんなところを走るなんて
        と思いながらそこら辺りまできたとき、不思議なことに走るような道は無かった。そんな
        ことはあるまいと思い、まだ走った人がいるはずと小走りに後をおったが、人っ子一人
        見当たらない。幻覚ではあるまい、なんだったんだと思い、少し気味が悪くなって急いだ。
        首切地蔵の休憩所に着いたとき、一人の男の人が座っていた。
        この人がさっきのひとか?『こんにちわ』と挨拶した。相手は首をこくりと前に倒した。
        しばらくして、男は私とは違う分岐道へと向かった。しばらくして、ふと後を見ると、もう
        その方向には誰もいなかった。これはいったいなんなんだったのだろうか??

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